「海の素」

*** 海の素 ***

やさい村お店

[発売元]やさい村

東京都三鷹市下連雀3-6-25

「海の素」ものかたり -その7-

日本の塩運動は谷さんや阪本さんとそれを支持してサポートした心ある人々の存在によって、飛躍的に前進し世界に冠たる「いのちの塩」運動に発展しかけたのです。

多くの人々の賛同と支持を得て、国会でも専売公社の塩の品質が問われ、自然海塩を国民が食べられるように認可せよと追及されました。
それまでは試験研究の許可しか出されず、作った塩はすべて完全に海に捨てなさいという対応だったのが、会員配布の許可が出され、やがては専売法そのものが撤廃され、各地で自由に品質のいい、美味しい塩が作られるようになったのです。

そういった面では、品質の悪い高純度の専売塩一辺倒の時代が終わり、国民は救われたのですが、本当の塩の品質を世界に問うという谷さんの高い理想はどこかに置き去りにされたまま、雨後のタケノコのように、各地でいろいろな塩が作られ始め、それを機会に海外からもいろんな塩を輸入して販売するビジネス塩がどっと増えてしまいました。


かつて塩運動の時代は応援しても一銭にもならない時代でしたから、お金目当ての人など誰もいなくて本当に純粋で真理や本物を求める人々が全国から続々と集まりましたから、本当に熱気があって創造的で楽しい時代でした。

その運動はまさに「いのちの時代」への大転換の推進力となるべきものでした。

ところが、谷さんの突然の死をきっかけにリーダーを失い、利権は私物化され塩運動は一部の人たちのビジネスと化した観があります。
これからまだどう展開するか分かりませんが、
本当に人々にとっての大損失ではなかったかと私は思っています。


塩の品質の追求をしないかぎり、現在のような雨後のタケノコ状態になることを予見していた谷さんは蛙の心臓の人工還流の実験を試みようとする中で、44歳だったと思いますが若くして突然他界されたのです。
その谷さんがとても注目していたのが、山口県の防府に住む真島真平先生の、海水を濃縮して取り出した濃縮ミネラルによる病気治療の実践データーでした。

なぜなら、再生塩と自然海塩の違いは、そこに含まれるミネラルの違いにあるのですから。

ほとんどのみなさんは、その違いを知りません。
それもそのはず、輸入されて再製されるときに使われるものもニガリと言われ、海塩を作る時に出来るミネラル液もニガリと言われて、言葉は同じでも全く含まれている成分は違うのです。

再製塩に使われるニガリは固形で、つまりはマグネシウムだけの結晶です。
それに比べたら海塩を作る時に出来るニガリは液体で、マグネシウムは勿論のこと他に
100種類近い様々ないのちに必要な微量元素が含まれたまさにいのちの母液といっても良いものなのです。

それに注目して真島先生はそのミネラルいっぱいの母液を医療に使えないものかと、単身研究に勤しんでおられてその驚異の医療効果に自分でも驚いておられました。
谷さんとも何回か文通され、谷さんも先生の研究に大変な関心を持たれ、何度も私に話してくれていました。


谷さんが亡くなれて、塩運動は会社設立でそこで代行することとなりましたが、急速にビジネス化し、運動を支えた人々が集まる場も無くなり、谷さんの名前すら、塩運動の歴史からも消し去るかのような変化でした。
そんな中、谷さんの話していた真島先生に是非お会いしたいと思い、数年後阪本さんと二人で山口の防府に先生を訪ねることになったのです。


1 日本国内への配送に適用されます。その他の国についてはこちらをご参照ください
2 (税込)