「海の素」

*** 海の素 ***

やさい村お店

[発売元]やさい村

東京都三鷹市下連雀3-6-25

「海の素」ものかたり -その5-

<塩は塩化ナトリウム>だと考える政府、専売公社側の見解と、<塩はいのちを生み出した母なる海の結晶>なのだ、とする自然塩運動側の考え方は全く違います。
そしてこの認識の違い、この前者の認識こそが今世界を混乱と破滅に向かわせている考え方なのだと思うのです。

しかもこれは日本だけではなく、世界全体が科学的という認識のもとに<塩は塩化ナトリウム>だと考え違いをしているのです。
私も学校では理科の授業で塩とは塩化ナトリウムだと教えられた覚えがありますが、いまもそう教えられているとしたらとんでもない誤った認識を子供たちに植え付けているのです。


谷さんや、阪本さん(現在の阪本海塩研究所所長)達は塩に対する世界の認識を変えなければならないと考えたのです。

それはまず、<塩は海>なのだという理想の塩を作って世に示さなければなりません。
しかし、その当時専売法によって日本では一般の人々が塩を作ることは禁止されていたのです。

当時の塩といえば専売公社の出しているNacl99.8%の塩しかなく、とても塩とは呼べないものでした。

そんな法的な規制の中で自然塩運動の人々の努力によってやっと作られたのが、輸入再製塩と呼ばれる、原塩と輸入された固形にがりを水に溶かしてから再結晶させられた天塩や伯方の塩でした。

ただしこれはあくまでも妥協の産物で完全な塩とはまだ言えないものでした。


何故なら、輸入されている原塩とは純度100%に近い精製塩のような状態のものですし、輸入されているニガリとは固形のニガリで、本来の液体のニガリに含まれている豊富なミネラルは抜けていて、ただのマグネシウムの結晶ですから本当の海そのものに含まれているいのちを生み出した豊富なミネラルが欠如してしまっているのです。

ここから谷さんや、阪本さんたちの新たな挑戦が始まったのです。
それは専売法という法律の規制の中で、日本の海から本物の塩を作るという新たな挑戦でした。


当時日本の中で、塩の品質の問題に気付いた人々は、本当に一握りの人たちでしたが、優れた頭脳の学者や研究者、環境や食の運動家など一騎当千の素晴らしい人々が全国から集まり始めていました。
それは、真実を知って行動をする人々だけが持つ、希望と確信に満ちたエネルギッシュなムーブメントとなって動き始めました。


ただし十分な予算もなにもない中で谷さんや阪本さんは移り住み、前代未聞の自然な本物の塩作りが伊豆大島で始まったのです。
知恵ある者は知恵を、資力のある者は資力を、政治に働き掛けられる者は政治の場で、若くて時間と汗を提供できる者は労働を、という具合に様々な人々の力がこの「いのちの塩運動」に結集して行ったのでした。


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